ひたすら糸車を回し続けてインドの独立を果たしたカンジーに感銘を受けた

サティシュクマールは、

 

 しあわせはとは 

  過去を責めず

  未来が信頼でき

  今を祝福できること

 

自分と世界の変革は、「今、ここから」 と言います

 

そして、

想像力は、手と共に働き、

何でも手と共に作り出せる

 

「よき食生活」は、地球への負荷を減らすこと

世界の問題を解決する第一歩は、あなたの今日の食事から

 

 

 

私は、そんなサティシュに魅せられて

「まなの家」を自分たちの手で作ることにしました

 

そして、サティシュの願う場を作りたいと思いました。

 

 

サティシュクマールの紹介

 

サティシュ・クマール (1936年生)

 

イギリスの思想家。

インド西部ラージャスターン州の町シュリー・ドゥンガルガルで生まれ

9歳で出家しジャイナ教の修行僧となる。

18歳のとき還俗。マハトマ・ガンディーの非暴力と自立の思想に共鳴し、2年半かけて、核大国の首脳に核兵器の放棄を説く14000キロの平和巡礼を行う。

 

1973年から英国に定住。

 

 

 

E.F.シューマッハー(イギリスの経済学者、『スモール・イズ・ビューティフル』の著者)とガンジーの思想を引き継ぎ、イギリス南西部にスモール・スクールとシューマッハー・カレッジを創設。エコロジー&スピリチュアル雑誌「リサージェンス(再生)」編集長。

 

 

 

 


 

サティスクマールの伝えたいこと

 

『エレガント・シンプリシティ』

 辻信一:訳(NHK出版)

 

エレガント・シンプリシティ

 簡素に美しく生きる

 シンプルさの中にこそ美しさが宿る

 

エゴからエコへ

 エゴは、分離、複雑化

 エコは、つなげる、簡素化

エコという言葉は、もともと「家」

地球も私たちにとっての「家」

つまり、つながりが育まれる場所を意味する

 

ごく普通の簡素な日常生活のただなかでこそ可能となる。

 

自分自身と周りの人々と、そして、自然と調和する暮らし

大量生産という産業のあり方=醜い文明

 

私たちは、

数字に支配され

経済にとりつかれ

スピードのとりこ

これらは、美しさの天敵であり、

美を失うとき同時に私たちは真実も失う

 

アーティストがつくるしあわせな社会

 アーティストとは、

特別な人のことではなく

すべての人が特別なアーティスト

 

アートとは、心のあり方

生きることそのものがアート

 

雇われ人・消費者は、所有関係

人間が自然を資源として所有する

作り手・アーティストは、協力関係

自然資源は、贈り物

 

先住民のアートは、

アートという言葉はなく

趣味や贅沢でもなく、

暮らしの一部として日常に溶け込む

 

アートとは、愛をこめて作るとは、

素材と作業過程に身を委ねること。

何かが向こうからやってくるに任せる

心を込めて作る過程は、瞑想と同じ

しかし、アートが生き方から分離

 

アーティストたちが、

自らを区別し、より高い地位を要求。

アートは売り買いされるもの。消費と投資の対象になってしまった

 

近代産業文明は、

多数の人々から芸術や工芸、文化を

そして、想像や創造性を奪う

 

大量生産と大量消費の経済は

どこまで行っても不満が渦巻き、終わりなき競争

 

ガンディー曰く

この世は、万民の必要を満たすには充分だが

だれの貪欲も満たすことはできない

 

 

 

 

ディープ・シーイング 

 深く見る

すべてはつながっている=万物共存

 

食べ物だけでは十分でない

私たちには魂の栄養も必要

それは、すべての命との一体感

生きとし生けるものの地合いの感覚

からだの栄養と魂の栄養

 

ソイル(土)・ソウル(魂)・ソサエティ(社会)

私たちは、つながりあえ世界

 

ソウル=土

 ラテン語でムフス

 

ムフスからヒューマン(人間)とヒューミリティ(謙虚)

土(自然・地球)という謙虚な存在

土と一体になることが

人間であるために最も大事

 

謙虚さを失うと人間性を失う

都市文明は、私たちをフムス(土)から切り離した

 

土は命の源

 私たちのからだは、土から生まれて土に還る

 

今では、多くのものが石油から作られる

オイルからソイル(土)

 

炭素固定は、土が最も効果的

意識やエネルギーのほとんどを「持つこと」に費やし、ただ自分自身で「あること」に費やしていない

 

意味ある人間関係を培うためには

 小さなコミュニティが必要であり

 人間らしいスケールをもつ

 社会をつくる必要がある

 

小さな共同体(ヒューマンスケール)こそが、

「ともに息をする」ことができる

顔が見える親しい関係

 

ホリスティックな思考は

 土と魂と社会という三つの側面を

 一つの大きな全体像の中に持ち込む

 

分離と分断から

 「あいだ」とつながりの世界へ

 

私たちはみんなつながっている。

 義務によるつながりには、尊厳がない

 

近代的な貨幣経済は

 土地と労働を商品にした

 今や金儲けが経済のただ一つの目的

 すべての者からの分離

 

ガンディー曰く

 世界がこうなればいいと思う

 その変化にあなた自身がなりなさい

 

 

 

『サティシュのいう学校とは』

  

近代教育は、

生徒をからの器とみなし 

知識を詰め込もうとする

教育は、詰込みではなく引き出すこと

 

種に何かを詰め込む必要はない

ただ種に必要な堆肥や土・水・お日様を与える

種が何になるかは、種に任せる

 

他の誰かの真似をせず

本来のあなたに自身になってください

 

経験から学ぶ

頭脳を使って学ぶより

からだ全体で学ぶのです

 

特に手は、現代の学校教育では無視

手はせいぜいパソコンや携帯のキーを押すだけ

 

手は身体性の象徴

 

 手は、想像を現実化するのを助ける

想像力を発揮する時、あなたはアーティスト

アーティストのように生きたければ

職を探したり、雇用を求めたりしない

 

想像力を発揮すれば自分で仕事を作り出す

200年前には、求人市場も雇用も会社もなかった

 

人々は、アーティストとして生きていた

雇用と生きるための仕事とは別物

生きるために仕事をするとは、

人生の主人公になること

 

アーティストとは、特別なことではない

誰もが特別なアーティスト

想像力は、手と共に働き、何かを作り出す

 

 

スモールスクール

 キッチンも教室の一つ

 生徒全員が料理を手伝う

 食を通して、歴史や化学、

 そして数学を学ぶべき

 料理、畑仕事、家づくり、裁縫、木工、写真なども学び。

 

自分自身を発見する場

 

手は、偉大な贈り物

手を使うことに敬意を払うべき

 3つのH

  頭 Head :考えること

  心 Heart :感じること

  手 Hand  :つくること

 

人の手が、機械に置き換えられたが

機械が人間の主人

さらに人間が丸ごとロボットという機械

 

近代教育は、

身体的技能(手から作り出すこと)を人間から奪っただけでなく、人間の非人間化をも引き起こした

 

非人間とは

技能を持たないこと

自律して生きる自信の持てない人

他者のために奉仕することを知らない人

機械や書類を相手にする職を求める

 

知識と経験が出会うところに知恵が生まれる

教育は、「もの」や「こと」をつくりだす

創造者になりうることの手助けをすること

スピリチュアルは、測れないものを扱う

科学は、測れるものを扱う

 

スピリチュアルな農業は、

生きている土や生物の多様性

食べ物は、神聖なものの価値の強調

 

工業的で科学的な農業は、

生産量の最大化と労働力の最小化

土や動物などへの尊敬価値を持っていない

 

単なる利益を生む商品となる

 

未来を創造したいなら 

グローバルな工業製品への依存を減らすこと

 

グローバル化した資本主義は

人間よりお金を優先する

産業化され、グローバル化された社会は想像力の敵

想像力の種から人生の木が育つ

 

 ローカルな経済は、

特定の場所に根差す「場所の経済」

自然こそが本物の富

 

 

 

 

 

『  シューマッハカレッジ 

 

シューマッハカレッジは、

「正しい生き方」を学ぶ場所ではなく

「楽しい」「美しい」「おいしい」と言った

感覚を大事に人生をより豊かに楽しいものにする

ライフスタイルを学ぶ場

 

シューマッハカレッジは、

自分が何者かを見つける場

 

 

 

ユートピアは、

もともとの意味は「場所がない」ということ

 

 

伝統とは、絶え間のない更新

淀まらず、自らを更新し続ける

 

オリジナル=根っこ

 オリジンはその根っこ

 

オリジナルは、文化伝統

 古代からの知恵や価値観に根差している

 

大事なのは、新しさより生き生きしていること

ファッショナブルは、生き生きしていること

 

工業的な大量生産で作られたものは

生き生きしていない

すべて複製されたもの

コピー製品に新しさはない

 

人は、変身するために学校に来る

学校が大きくなると

生徒は、知識の消費者

 

効率は、人間関係や自然の持続可能性を無視

充足は、人間と自然を敬う

「これで十分」と知ること

 

美しい循環は、長い目で見ればより効率性が高い

 

スロー:急げば暮らしの美しさが失われる

スモール:人間的なスケール

     大きいと人間は単なる道具

シンプル:幸せな人生は素直でシンプル

 

人間が、時間に圧迫されるのはおかしい

時間は、私たちの友達のはず

スローとは、生きるのにふさわしい最適な時間

 

アートは、変革のプロセス

人生は変革の旅

 

ヒューマン・ビーイング being

「いること」とは自分自身であること

 

ヒューマン・ドウーイング doing

「すること」は自然の流れ

人は「すること」にかまけて「いること」を忘れる

 

何かを「する」時、

その行為が所有意識を生み出す

 

自分の行為に執着

 

もっともっとと「すること」に限りがない

「いること」は何も求めない

「いること」だけでしあわせ、何が起ころうと大丈夫

「いること」は成功を求めない

 

ただ、充足と満足

太陽・土・木がビーイング、ただそこにある

 

シューマッハカレッジで重視するのは

手を通じた自己変革

ものつくりをからだで経験すること

 

からだを通して自分を変える

 

 

『  料理とは  』

 

料理は命にかかわる仕事

 人々の健康のために料理を通じて奉仕する

 

でも料理は、自らを変える行為

 消化できないものを消化できるものに変える

 自分の意識も変わっていく

 

人は料理をしつつ意識も変革

人生を料理する

つまり内なる自己を消化できるものに変える

 

食べることもまた変革のプロセス

 自分自身を養い育てるという変革

 自分を世話し、食べ物で栄養を与える

そうすることなしで、

 他者を養い、愛し、思いやることはできない

 

食べることは、感謝の表現

 神・自然・そして人々からの贈り物

食は、すべてが依存し合い、支え合っている

 

すべての仕事は、変革のアート

 

 キッチンとは何か

 それは養いの場

 身体だけでなく魂・心、そしてつながりを養う

 

キッチンは料理を学ぶ教室だが、

単に調理をする場ではない

 良い教育のためには、良い食べものが必要

 

テーブルの周りには、コミュニティが生まれる

 

野菜を育て料理するだけでなく

食べ物を分かち合うことを学ぶ

 

そこからより良い人間関係が育つ

 

どんな困難や意見の相違も食事の場で解決

 

 

自炊塾「ゆいの家」  髙石知江 

 

〒370-0084 群馬県高崎市菊地町184-3  

 

TEL:080-2028-2999

 

yui@tulip.ocn.ne.jp

 

「ゆいの家」の日々の活動の様子を知りたい方は、

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自炊塾で紹介する料理レシピは、Facebook「ゆいの家の料理」ご覧ください。お一人様でもできる簡単なものばかりです。