私は、石川善一さんの「おむすびの会」に参加しました。
この「おむすびの会」をあえて、
こどももよろこぶ
「まんまる塩おむすび」として広げています。
石川さんに教えていただいた塩おむすびの作り方。
ここに自炊塾で伝えていきたい食の原点があると思いました。
この塩おむすびの中に、食からのしあわせの種があり、いのちの輝を輝かせるすべての素が詰まっています。
そして、人と人をつなげていく縁結びでもあるのです。
石川善一さんという方が「おむすびの会」をして全国をまわられています。
その石川さんは、今日本人が自然から離れた生き方をし、和食というものがほとんどなくなって、芯ができていないと言います。
そして、食を通して自分に何ができるかと考えてたどりついた答えが、
「塩おむすび」
若いお母さんたちや子どもたちに心と身体と魂をつなぐものとして一番シンプルな塩おむすびを伝えていきたいと思ったそうです。
「米」という字は、光が四方・八方に拡がっていく字であり、気という字は、もともと米という字を使われていました。そして、神事には米と水と塩を供えます。つまり「塩おむすび」なのです。
まんまるの塩おむすびは、すべてが詰まっている光の霊です。そんな光の霊を石川さんは全国をまわって届けています。
ゆいの家でも石川さんの「おむすびの会」をしました。
石川さんの塩おむすびは、食べるというよりは「ほうばる」という言葉がぴったりで、眼を閉じながら塩おむすびをほうばっていると自分がすでに忘れていた古い記憶が呼び起こされてきます。
石川さんの作られた塩おむすびを食べた年配のある女性は「もうずっと忘れていた、昔おばあちゃんに作ってもらった塩おむすびの味を思い出しました。あの時のしあわせだった頃のことを思い出し、気持ちが温かくなりました」と話されました。
60歳代の女性は、「自然と最後に食べたおむすびはいつだろうと考えだして、中学校の部活の時に母に作ってもらったおむすびが最後だったかもしれないと思うと急に涙が出てきました」と話されました。
ただ塩おむすびを食べただけで、このような記憶がよみがえってくるのです。
しかし、過去にそのようなことがなければ思い出すことはできません。
石川さんは言います。
僕のやっていることは、
伝えることではないのです。
つなげることなのです。
僕も料理人をしていましたが、料理は、材料を集めて作ること。
調理は、その時あるもので、あるいは余り物で作ること。
家庭でするのは料理ではなく調理。
調(言葉のまわり=周りの人)
理(しなのことわり=理)
調理とは、まわりの人のことわりを整えること。家庭の料理は、違和感があったものを整える家族のお医者さん。
今は、木の枝の話ばかりで目先のことばかりの変化にとらわれ幹を見ていない。このことは、食べものだけでなくすべてに当てはまる。
幹を見ていないから枝に惑わされる。まずは、余分な枝を切って幹を見て、その幹から枝を出す。
さらに幹を切ると幹の下には、根がある。根は種からできる。
すべての始まりは「種」
つまり、それが「米」である
米をちゃんと食べることは、日本人の芯ができることで、その米を日本人は食べなくなってきたから芯のないぐにゃぐにゃの生き方になってきていると石川さんは言います。
実際に、石川さんの塩おむすびを食べる前と後で体の力の入り具合を比べると全然違うのです。食べた後は、力を入れてもびくともせず、体に強い芯ができているのです。きっとそれは体だけでなく、心も同じことがいえると思います。
食べるということは、その時のお腹がただ満足するだけではないのです。ちゃんとしたものを食べると心が満足し、そのことは心の深いところに記憶として残ります。
その記憶が、しあわせなものとして残るならば、自分がそのことを忘れしまっても、心の奥にしあわせな記憶として残り、それが生きていく力であり芯になっていきます。
それが、「芯ができる」と石川さんは言ったのでしょう。その芯となる食をどれだけ食べてきたかで、その人の人生は大きく変わっていくと思います。木でいうなら根っこ。食べることは、見えないところでの土台作りがされるのです。
そんな石川さんの想いを伝えたいと私は、石川さんのおむすびの会のおむすび光師(講師)となりました。若い女性たちやお母さん、子どもたちにこのいのちをつなげる塩おむすびのことを伝えていきます。
○6歳と3歳の子のいるお母さん
早速家で塩おむすびを作りました。子どもがおいしそうに食べる様子をみて私も幸せな気持ちになりました。子どももおむすびを作りたがって、あれから子どもがおむすびを作るようになりました。3歳の子もやりたがります。
子どもに「今日は何を食べたいの?」と聞くと「まんまるおむすびがいい」というようになりました。食事は、あれこれ作る必要がなかったんだということがわかるようになりました。子どもは、塩おむすびで十分満足してくれるのです。
○もう成人した娘さんのお母さん
参加した後、たまたま娘から電話がかかってきました。何かに悩んでいるらしく、「おいしいおむすびを食べさせてあげるから帰っておいで」と娘に言いました。娘は帰ってきて、何も言わずに塩おむすびを食べさせました。塩おむすびだけで十分思いが伝わり、言葉はいらないと思いました。